第1幕創業~日本の近代化へ貢献
絨毯に未来を夢見た米商人と
世界が相手の商いをめざす呉服商の出会いから
『SUMINOE』の歴史が始まった。
SUMINOEの元祖は、米穀商であった村田伝七が1883年(明治16年)に大阪府東成郡住吉村(現在の大阪市住吉区)に開いた村田工場。
サイドビジネスとして始められたこの手織りのささやかな家内工場が、ほどなく帝国議会議事堂をはじめとし、鉄道、船舶の装飾を受注し、日本の敷物業界の夜明けをひらきました。それは、老舗の呉服商から発展し、貿易を通して広く世界のニーズに対応し、インテリア織物のサプライにも積極的だった髙島屋との出会いが生んだ固い絆の結果でした。
誠実で頑固、人一倍研究熱心だった創業者
誠実で頑固、人一倍研究熱心だった創業者
村田伝七は、1848年(嘉永元年)、大阪府東成郡沢の町に村田伝兵衛の七男として誕生。成人して「米伝」という屋号で米穀商を営んでいました。そのころ堺緞通と呼ばれた手織りの敷物が、対米輸出品として、堺から大阪住吉方面にかけて副業として盛んに行われていました。
こうした状況に刺激された村田伝七は、1883年(明治16年)に緞通機3台を購入、米穀商を営むかたわら緞通づくりを開始しました。それが当社の出発点となった村田工場でした。誠実な人柄で人情に厚く、良質なものづくりに頑固なまでにこだわり、研究熱心だった村田伝七は、めきめきと技術的な進歩をとげ、やがて米穀商を廃業して緞通づくりに専念するようになりました。
緞通とは?
経糸にパイル糸を結びつけて作った床敷物の総称で、伝統的な手織り敷物です。基布の地経糸にパイル糸を手で結びつけ、これをカットして毛房を作成。産地によって、パイル糸の結び方が異なり、中国緞通、ペルシア緞通、トルコ緞通などに区別されます。技術的に製織は熟練を要し、長期の日数を費やすため高価で、美術工芸品として扱われることが多い高級敷物です。
明治の名だたる建物にカーペットを納入。
近代国家日本のイメージづくりに貢献。
帝国議会議事堂にカーペット納入
帝国議会議事堂にカーペット納入
村田工場のハイレベルな技術に着目していた髙島屋は、明治政府より用命を受けた帝国議会議事堂のカーペットの製造を村田伝七に発注。1891年(明治24年)、村田工場は日比谷に建設された旧議事堂開設時にカーペット納入という大事業を果たしました。1936年(昭和11年)に竣工した現在の国会議事堂の内装織物も受注し、「赤い絨毯」や本会議場の椅子張地などを納入しました。
当社初の「知的財産」
当社初の「知的財産」
研究心旺盛な村田伝七は、1890年(明治23年)、ウィルトンカーペットを模して、わが国ではじめて絨毯をつくり、1892年(明治25年)に特許を取得。倭織(やまとおり)と命名されました。
ウィルトン織りとは?
18世紀中期、イギリスのウィルトン市で初めて作られた機械織り。19世紀には、ジャカード(紋紙)を用いて、2~5色のパイル糸を使い、多種多様なデザインが可能に。しっかりとした高級感あふれる仕立ての織りです。
モケットの心地よさと、特色あるデザインで、
市民の“足”をより楽しく演出。
日本初の国産シート地が国鉄で採用
日本初の国産シート地が国鉄で採用
1870年(明治3年)に政府は、鉄道事業を開始。当時の客室の座席は、上・中・下と区別され、上等車と中等車には、輸入モケットが使用されていました。その後、「国産品を」との用命が髙島屋にくだり、製作を当社が受注。1896年(明治29年)、シート地として日本で初めて手織りによるワナモケットの製作に成功し、1899年(明治32年)、国鉄のシート地に採用されました。
住吉工場建設
住吉工場建設
社会のインフラづくりにつらなるビッグな案件を次々にこなしてきた村田伝七は、1903年(明治36年)、後の大阪市住吉区に土地を求め、さらなる発展に備えました。当社の主力工場として長年活躍した住吉工場のスタートであり、日本のインテリア産業の
路面電車のシート地のモケットに「市章」をデザイン
路面電車のシート地のモケットに「市章」をデザイン
1895年(明治28年)、京都に走り始めた路面電車は、市民の足として各地に広がりました。当社は、1905(明治38)年、大阪市電のシート地のモケットに市章である澪(みお)つくしをデザイン。その後、市章や社章を入れたモケットが全国的なブームとなりました。
モケットとは?
フランスで考案された手織り物で、パイルを密に短く直立させた表面が特徴。肌触りがなめらかで、耐久性にすぐれた織物です。現在でもバスや鉄道車両のシート地に多く使われています。
明治時代(沿革略年表)
- 1883(明治16年)
- 創業者村田伝七が大阪住吉で手織り緞通の製作を始める
- 1891(明治24年)
- 帝国議会議事堂(現 国会議事堂)にカーペットを納入
- 1899(明治32年)
- 日本初の国産シート地が国鉄で採用
- 1903(明治36年)
- 本格的な製織設備をもった住吉工場を建設
大正モダンに華を添えつつ、文化・芸術のステージへ。
生活水準の向上と洋風化にともなって、インテリア織物が時代のトレンドの一つになった大正時代。村田工場は活況を呈し、最大の顧客であった国鉄からのオファーの拡大にともない、それまでの手織機から近代的な力織機への移行の機運が高まってきました。
住江織物合資会社の創立
住江織物合資会社の創立
新しい時代に対応するため、個人事業から法人化への機運が高まり、1913年(大正2年)、村田家と髙島屋飯田家の共同出資による「住江織物合資会社」が誕生。法人としての住江織物の百年の歴史の第一歩が印されました。初代社長には村田伝七が選出され、支配人には後に第2代社長となる益子勇雄が就任しました。
社名“住江織物”の由来
合資会社の社名「
岸による波よるさへや
夢の通ひ路 人めよくらむで歌われた「すみの江」にほど近かったことにちなんでいます。「すみの江」は古来、
ドイツ、イギリスから技術と力織機導入
ドイツ、イギリスから技術と力織機導入
1913年(大正2年)、ドイツ・イギリスから技術と力織機を導入し、日本で初めて機械織モケットの製造に着手し、国鉄1等車、私鉄のシート地に採用されました。1916年(大正5年)には、力織機によるカーペットの製造も開始しました。
帝国劇場に椅子張地を納入
帝国劇場に椅子張地を納入
1915年(大正4年)、帝国劇場に椅子張地を納入。1966年(昭和41年)の大改装でも、当社の椅子張地が採用されています。「帝劇」の愛称で広く親しまれているエンターテイメントの殿堂で、シートの手触りや座り心地の良さが、舞台の感動を支えてきました。
宝塚大劇場に椅子張地とカーペットを納入
宝塚大劇場に椅子張地とカーペットを納入
兵庫県宝塚市栄町で1924年(大正13年)に誕生した宝塚大劇場の座席数は3500余り。現在にいたるまで、当社が椅子張地とカーペットの納入を続けています。タカラジェンヌに憧れ、ヅカファンたちが座ったシートには、舞台のスターたちの栄光の歴史を見守り、支えてきた住江織物のメモリーも織り込まれています。
大正時代(沿革略年表)
- 1913(大正2年)
- 住江織物合資会社を設立
ドイツ・イギリスから技術と力織機を導入し、日本で初めて機械織モケットの製造を始める
- 1916(大正5年)
- 力織機によるカーペットの製造を始める
テレンプを製造し、国鉄1等車、私鉄の椅子張地に採用される
- 1925(大正14年)
- 皇太子旗謹製
自動車産業の夜明けに参画し、戦争の苦難を乗り越えて再生。
情報と交通のネットワークが世界中を結び始めた昭和の初期。来るべき大量生産、大量消費の時代へ向けて、当社は時代の風を帆に受けながら、苦難の戦争を乗り越え、再生と発展を印しました。
旅客船の一等室にカーペットを納入
旅客船の一等室にカーペットを納入
すべての海外旅行には客船が利用された1920年代。映画「タイタニック」でもおなじみの豪華客船も世界の海を就航していました。当社は、大阪商船(現 株式会社商船三井)の一等室へカーペットを納入。昭和になって、多くの人々が南米に移民や旅行で乗船したぶらじる丸、あるぜんちな丸、ぶえのすあいれす丸をはじめ、当時の日本の有名船のほとんどには当社の製品が採用。客船の装飾は流行の最先端として、一般の室内装飾にも影響を与えました。
自動車産業の黎明期に参画
自動車産業の黎明期に参画
1931年(昭和6年)、米国のフォード、ゼネラルモーターズ社が日本で組み立て生産をしていた自動車に、住江織物はカーペットとシート地を納入。自動車産業の黎明期に当社は参画しました。その伝統を生かし、1958年(昭和33年)、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車株式会社)にナイロン製シート地を納入したのを皮切りに、国内自動車メーカーから次々に採用。自動車産業とのジョイントは現在も事業の大きな柱の一つになっています。
進駐軍からの特需
進駐軍からの特需
第二次世界大戦の敗戦により、織機はホコリにまみれ、仮死状態にあったカーペット業界。1946年(昭和21年)、進駐軍から当社に告げられた、米兵の兵営・宿舎・家族住宅のための大量の調達命令がその再生のきっかけとなりました。かつてないボリュームの絨毯、モケットの需要が生まれ、昼夜兼行で強行生産に突入。発注があまりにも大量であったので、当社だけでは対応できず、当社の呼びかけにより全業界をあげて受注に応えました。納期をめぐる米軍将校との対立など、苦渋に満ちたエピソードも残されていますが、この特需がカーペット業界の戦後復興への希望をもたらしました。
昭和元年~昭和20年代(沿革略年表)
- 1930(昭和5年)
- 住江織物株式会社を設立
- 1937(昭和12年)
- 河内工場を新設、紡毛糸紡績を始める
- 1943(昭和18年)
- 京都工場を新設、ドレープの生産を始める
- 1947(昭和22年)
- 網野工場(現 丹後テクスタイル株式会社)を新設、緞帳と緞通の生産工場とする
- 1949(昭和24年)
- 東京、大阪、京都証券取引所に株式を上場