住江織物創立百周年記念サイト~住江物語り~

これまでの百年、これからの百年。

キャンベル創業から百三十年、法人化から百年。その歴史の中で、どういうものが作れるか知恵を出しあってこられた会社だと思うのですが、振り返って今、社長としてどのような思いでいらっしゃいますか?
吉川百年と言えば、それなりの歴史があり、戦争もふくめて激動の時を経てきたわけですが、その時々に先人の皆さんは非常にご苦労されています。明日があるという強い気持ちで、苦労を全部乗り越えてきた、そういうめげない心に敬意を抱きます。そして時代の変化に対応していく力が素晴らしいなと思います。
キャンベル日本の近代の企業、工業の歴史を眺めるとき、どちらかと言うと機械メーカーに目が向けられがちだと思います。機械、医療技術、製薬など、10年毎に製品も製造方法もこの百年で大きく変化を遂げてきました。ただ織物って、そんなに変化しないのでは、と実は思っていました。でも、3年程前に住江織物の工場を見学したとき、「こんなに変わっているのか!」と私は驚きました。私たちが何気なく使っている織物の作り方や素材、また実際に使われるシーンが、機械や医療技術と遜色ないくらいに大きく変わっていました。織物という分野で、変わってきた部分、変わらない部分というのはどのようなところでしょうか?

ロバート キャンベル

1957年ニューヨーク市生まれの日本文学研究者・東京大学大学院教授。
近世・近代日本文学が専門で、とくに19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、漢文学と関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。
テレビでMCやニュースコメンテーター等をつとめる一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組出演など、さまざまなメディアで活躍中。

不変的価値の世界で変化に挑戦すること。それが当社の歩みです。 吉川 一三

吉川人間にとって大切な衣食住の「衣と住」という視点から見ると、狩猟生活では毛皮などを身に纏っていますが、農耕文化になった時点から織物が現れます。でも「肌に触れるもの」であり、絶対に必要なものという「衣と住」の本質は変わらない。そして、ここ百年の産業の発展という視点から織物を見ると、機械化が進行し、生産性をあげるテクニックもたくさん出てきました。人間にとって変わらない絶対的に必要なものの世界で、変化に挑戦していくというのが私たちの会社の歩みだと思います。
キャンベル
以前にご案内いただいた住江織物の史料室で、これまでの製品の数々を見せていただいた時、その種類と色、模様などを見て近代日本の視覚文化そのものにふれる思いでした。ここ百数十年の間に、以前なかったような場に住江織物の製品が採用されていきます。たとえば帝国議会議事堂ができると真っ先に絨毯や椅子の張地を納入された。路面電車、大劇場、商船の場合も同じ。私は文学が専門ですので、言語文化からやや抽象的に歴史を考えることが多いのですが、何百種類もある絨毯のサンプルを見せていただいて、文学でわかっているつもりの日本の近代が、絨毯という形になるとまた違って見える。それこそ、その時代の社会の関心事、国家として、個人あるいは家として大切にしていたものが、絨毯に結集している。非常に驚いたというか、感動したのを覚えています。

吉川帝国議会議事堂のカーペットは、日本が洋風化をめざした時の一種のシンボル的な製品ですね。
キャンベル明治23年に憲法ができ、24年に帝国議会議事堂が開館するという日本文化に大きな衝撃を起こした時代。わずか10年ほどの間に海外を視察し、憲法の草案を何度も作り、議会をどういう形にして、どんな建築にすれば日本の国威を示し、国民を束ねることができるかが必死で考えられた。特に国会に関わることは、これからの国の将来を占う非常に重要な出来事で、緊張と高ぶりがあったと思います。この花模様、色も鮮やかで非常に品格がありますね。
吉川これは英国製のブラッセル織りの機で作られました。日本は伝統的に絹織物が盛んでして、しかも大名という豊かな人がいたから、織物文化が華開きました。色彩とかデザインの感覚が優れていたんです。明治になって西洋の文化を取り入れようと、見るもの触れるもの、すべての面で西洋の象徴を具体的に形にしていった。キャンベルさんが言われたように10年間でね。「日本はこうなって行くんだぞ」と。熱情の産物というのでしょうか。