時代・人・くらし。エピソードで織りなすスミノエ百年緞通ものがたり。
大正自動車産業の夜明けに参画し、戦争の苦難を乗り越えて再生。

自動車産業の夜明けに参画し、戦争の苦難を乗り越えて再生。

情報と交通のネットワークが世界中を結び始めた昭和の初期。
来るべき大量生産、大量消費の時代へ向けて、当社は時代の風を 帆に受けながら、苦難の戦争を乗り越え、再生と発展を印しました。

住江織物株式会社の三十周年記念写真

船舶
 すべての海外旅行には客船が利用された1920年代。映画「タイタニック」でもおなじみの豪華客船も世界の海を就航していました。当社は、大阪商船(現 株式会社商船三井)の一等室へカーペットを納入。昭和になって、多くの人々が南米に移民や旅行で乗船したぶらじる丸、あるぜんちな丸、ぶえのすあいれす丸をはじめ、当時の日本の有名船のほとんどには当社の製品が採用。客船の装飾は流行の最先端として、一般の室内装飾にも影響を与えました。

ぶえのすあいれす丸と大阪商船(現 株式会社商船三井)の一等室カーペットのイメージ

自動車産業
 1931(昭和6)年、米国のフォード、ゼネラルモーターズ社が日本で組み立て生産をしていた自動車に、住江織物はカーペットとシート地を納入。自動車産業の黎明期に当社は参画しました。
 その伝統を生かし、1958(昭和33)年、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車株式会社)にナイロン製シート地を納入したのを皮切りに、国内自動車メーカーから次々に採用。
 自動車産業とのジョイントは現在も事業の大きな柱の一つになっています。

自動車産業とのジョイント

進駐軍からの特需
 第二次世界大戦の敗戦により、織機はホコリにまみれ、“仮死状態”にあったカーペット業界。1946(昭和21)年2月、進駐軍から当社に告げられた、米兵の兵営・宿舎・家族住宅のための大量の“調達命令”がその再生のきっかけとなりました。
 かつてないボリュームの絨毯、モケットの需要が生まれ、昼夜兼行で強行生産に突入。発注があまりにも大量であったので、当社だけでは対応できず、当社の呼びかけにより全業界をあげて受注に応えました。納期をめぐる米軍将校との対立など、苦渋に満ちたエピソードも残されていますが、この“特需”がカーペット業界の戦後復興への希望をもたらしました。

伊勢神宮 式年遷宮
 20年に一度行われる大祭、伊勢神宮の式年遷宮では、神殿の建て替えや調度品の新調が行われます。明治、大正時代の西陣の名匠であった喜多川平八氏の工場を当社が受け継ぎ、1953(昭和28)年の第59回以降、式年遷宮がめぐってくるたびに、御装束・御神宝(神の衣服や正殿の装飾など)に用いる織物を納めております。
 2013(平成25)年に行われる第62回、式年遷宮でも、織物の調製の御下命を当社が賜り、約3年の歳月を掛け、錦・唐錦・唐綾・固織綾を、手織り職人たちが丹精込めて織り上げ奉納。1300年間受け継がれてきた美術工芸織物の手織技術を継承し、伝統文化の保存に努めております。

約3年の歳月を掛け、錦・唐錦・唐綾・固織綾を、手織り職人たちが丹精込めて織り上げている様子

住吉工場行幸啓
 1956(昭和31)年の秋、兵庫県で行われた第11回国民体育大会にご臨場の後、昭和天皇皇后両陛下が住江織物住吉工場をご訪問されました。
 第3代社長飯田紀造が先導し、両陛下は織布工場、製品陳列室、仕上工場、タフティング工場をご覧になりました。

昭和天皇皇后両陛下が住江織物住吉工場をご訪問の様子